藤岡 正巳
(06)気功の源流
道家, 儒家, 仏家, 武術, 中医学
【 春秋戦国時代 儒家と道家 】
気功の源流は,儒家, 仏家, 道家, 武術, 中医学にあるとされていますが,こ
んなにも多方面にわたって深い関係をもっているものが他にあるでしょうか。
しかも,そのどれをとっても,人間が創造した最高のレベルの分野です。一方
で,仏教,道家,儒家の「宗教」や「学問」があり,他方で,「医学」や「武
術」があります。これらの異分野は,どれもがあまりにもスケールが大き過ぎ
て私の手に負えないので,各分野の中で気功が果たした役割と目的だけに絞っ
て,歴史的に整理しながらスケッチしたいと思います。儒家, 仏家, 道家, 武
術, 中医学の中で,私たち日本人に馴染みが深い割には,最も知識が不足して
いるのが「道家」ではないかと思います。そのために,「道家」が生まれてき
た背景を「儒家」と比較しながら見ていくことにします。「儒家」や「道家」
の思想が形成されたのは,その時代の人々の歴史的な要請でもあったと思うか
らです。
そこで,古代中国の歴史にあまり明るくない読者のために,古代史の流れと
その時代の特徴を,ごく簡単にまとめてみたいと思います。興味がなければ,
この項目を飛ばして先に進んで下さい。前4000年頃,黄河流域に新石器時代の
農耕文化である仰韶(ヤンシャオ)文化が生まれました。前17世紀末頃になると,
歴史時代の幕開けとなる,中国最初の王朝である「殷王朝」の存在が,甲骨文
の発見によって確認されました。次いで,前1050年頃に「殷王朝」を倒して,
ここでの「気功の源流」のテーマとも深く関わってくる「周王朝」が登場して
きます。「周王朝」は「殷王朝」を倒して,西安で天下を治めた(西周時代)後
の前771年に, 一度滅ぼされます。翌年の前770年に「周王朝」は,都を洛陽に
移して再興します。都が東に移ったので,これを東周時代と呼んでいます。東
周時代は,一般的には春秋戦国時代とも呼ばれ,「秦」の始皇帝が全国統一を
するまでの,動乱の時代ということができます。春秋戦国時代は,さらに春秋
時代と戦国時代に分かれます。前者は「周王朝」の権力が失われていたとはい
え,まだ王朝の権威が,かろうじて保たれていたのに対して,後者は「周王朝」
の権力も権威も地に堕ちた下克上の時代でした。春秋時代に「儒家」が生まれ,
戦国時代に「道家」が創設されたのです。淡い希望のある時代と,希望が完全
に打ち砕かれた時代の違いです。
【 儒家の気功 精神的修養 】
周王朝は,中国各地に一族や功臣の有力者を派遣して支配するという,封建制
度の上に成り立っていました。諸侯はもちろん,その家臣の大夫や士もその身
分を世襲したのです。そのために,家族的な結合が社会の秩序を支える主要な
原理になっていました。春秋時代に入ると,周王朝の権力が衰えると共に,天
子や諸侯相互の間の家族連帯の意識が弱まり,次第に諸侯の有力者が覇権を競
いあうことになります。初期には140余の諸侯の小国があったものが,春秋の
末期には14国までに併合されてしまいました。しかし,周王朝の権力が失われ
たとはいえ,春秋時代には,諸侯に対して「本家」としての権威が,まだ多少
なりとも生きていた時代だったのです。
孔子は,この世相をなげき,社会秩序の回復を目的とし,周王朝初期の封建制
の精神への復帰を求めたのです。力による政治を否定し,道徳による政治を強
調しました。これが儒教の根本精神となったのです。そのためには,五倫(君臣
・父子・夫婦と兄弟・朋友)の身分血縁的関係をあるべき人倫秩序とし,この人間
関係を支える必要な道徳が,五常(仁・義・礼・智・信)であるとされました。そし
て,五倫の秩序を実現するためには,五常を修養(修身)することが,繰り返し
説かれたました。それ故に,儒家の気功の目的は,道徳を身に付けるための精
神修養に重きが置かれたのです。『至善の所在を知ることができれば,志は定
まる。志が定まれば,心は静となる。心が静であれば,安定し,思慮すること
ができるようになる。思慮できれば,至善を把握しうるのである。』 政治家
や学者や文人が励んだ儒家の修養方法は,座式の静功が基本とされています。
【 道教の気功 不老不死 】
戦国時代に入ると,戦国の七雄といわれる韓・魏・趙・楚・斉・燕・秦の弱肉強食の
下克上の時代が始まります。周王朝の権力はもちろんのこと,その権威さえも
失われてしまいました。相次ぐ弱小国家の興亡の結果,家臣の大夫や士が失職
し,大量のインテリ浪人が発生することになります。戦国の乱世の中で人々が,
政治への不信や生の不安におびえていた,そんな精神的な状況を背景にしてい
ました。この乱世の時代の無秩序による思想の自由を背景に「道家」が興るこ
とになります。このように「儒家」と「道教」では,生まれてくる時代背景が
違っていました。
道家の思想の核心は,「道(タオ)」と「無為自然」にあります。「道(タオ)」
とは,儒教でいう人倫や道理ではなく、現実世界の一切の対立差別の諸相を包
み込んで,おのずからなる秩序を成り立たせている,絶対的な「宇宙と人生の
根源的な真理」を指しています。そして,その道の在り方を示すのが「無為自
然」です。儒家が五常という道徳によって「人為的」に人倫秩序を実現しよう
としたのに対して,人為の加わらない,おのずからある状態の「無為自然」こ
そが,天の道であると主張しました。儒家の道徳を不自然な人為の産物として
否定し,この「道(タオ)」のあり方を実践体得することによって,人間存在に
必然的に付随する苦悩を超越することを目ざしたのです。これを体得した人が,
いわゆる「聖人」と呼ばれることになります。
道家が哲学であったのに対して、道教は,現世利益を重視する宗教です。道教
は,自然発生した原始宗教である巫術や鬼神など,さまざまな民俗信仰を基盤
として,戦国時代に興った不老長寿をめざした神仙思想を採り入れ,老荘道家
哲学を道教の理論的な柱として,後漢の順帝から後漢の終わりにかけて生まれ
ました。道教は,人間の生老病死の宿命に対抗して、「自分の運命は自分にあ
り天にはない」という信念のもとに,気功による鍛錬を行いました。その目的
は,胡孚氏によれば『世の中において人を救うこと、長生きして仙人に成るこ
と、道と一つになることが道教の目標』(「道教と仙学」1989年仙学研究舎)
であるとされています。道教の鍛錬法としては,外丹法と内丹法が特に有名で
す。「丹」とは,不老長寿の霊薬のことで,外丹法は「丹」を身体の外で作り,
それを服用することで効能を得ようとするものです。内丹法は自ら鍛錬するこ
とで,体内に「丹」を作り不老長寿を実践しようとするものです。しかし,外
丹法は、水銀や朱砂などの危険な鉱物を使うために、中毒を起こすなどの事件が
おこりました。そのために外丹法に代わって,内丹法が不老長寿の鍛錬法とし
て盛んに行われるようになりました。
【 仏教,中医学,武術の気功 】
「儒家」と「道教」が,中国伝統の学問と宗教であったのに対して,仏教は外
来の宗教であったので,ここでは仏教については,簡単に触れるだけにとどめ
たいと思います。「仏教」が中国に入るのは,前漢の武帝の時代(紀元前後)の
ことです。初めのうちは,中国人の伝統的なものの考え方を通して,理解され
るほかはなかったようです。仏教の「空」は老荘の「無」であり,「涅槃」は
「無為」であるというふうに,老荘哲学の助けを借りて普及していきました。
仏教の目的は,「生・老・病・死」という人生の四苦から脱して,悟りの境地
に到達することにあります。そのために気功には,「止観法」などのように「意
念」の働きを厳しく要求されるようです。ただ,仏教は時代の変遷とともに,
いくつもの宗派が興亡したように,あくまでも一般的にということです。仏教
系の一指禅功の場合は,意念は一切使わないからです。
中医学の目的は,最も分かりやすく,健康の維持と病気の回復にあります。現
在もなお引用される「気功理論」は,紀元前後の漢王朝の時代に,最古の医学
書の「黄帝内経」で体系化されました。気功による医療経験は,それに数百年
先行して行われたであろうから,戦国時代にはかなりの水準に達していたと考
えられています。中医学には,医療手段の方法として,気功の鍛錬だけでなく,
漢方薬,鍼灸,按摩などがあります。
武術の原型は,喧嘩にあるので,どの時代まで辿っていけるか,まったく予想
もつきません。社会集団が形成され,集団相互の争いの中から,合理化された
戦闘技術が発達し,やがて武術として洗練化されていきました。武術の目的は,
相手を倒すことと,自分の身を守ることにあります。日本気功倶楽部の一指禅
功は,軟気功(内気功・外気功)ですが,これとは別に,一指禅功の武術気功も
あります。
【 気功 よりよく生きるためのベース 】
儒家, 道家, 仏家, 中医学,武術の各分野では,以上見てきたように,気功の
目的とその果たす役割が違っていました。前掲の「道教と仙学」(仙学研究舎)
の中で,胡孚氏は,儒家, 道家,仏家の世界を『仏教の専門は世を離れること
であり、儒家の専門は世を管理することであり、道家の専門は世を超越するこ
とである』という一言で,実に見事に垣間見せてくれました。気功は,儒家で
は, 道徳を身に付けるための精神修養に重きが置かれ,道家では, 不老不死の
超人的な仙人を目指し,そして仏家では, 人生の四苦から脱して,悟りの境地
に到達するための手段の一つとしたのでした。私たち現代人が気功といえば,
その多くの人が「健康の維持」と「病気の回復」をイメージすると思われます。
しかしながら,それは中医学が得意とする世界であって,気功が関係するすべ
ての分野ではないのです。気功は,「宗教」や「哲学・学問」,そして武術と
も深い関係を持っていたのです。
このように見てくると,気功の源流は「儒家, 道家, 仏家, 中医学,武術」に
あるのではなく,これらの異分野のベースに,気功が存在していると言えると
思います。たとえば,儒家, 道家, 仏家, 中医学,武術の間に,共通するもの
を探すとすれば,一体何があるのでしょうか。「読み書き」はどうでしょうか。
儒家, 道家, 仏家, 中医学は,確かに必要に違いありません。しかし,武術は,
必ずしも「読み書き」ができなくても,差し障りありません。無理やり共通す
るものを引っ張り出すとすれば,そこに人間が生きていて,何かをやっている
という事実だけしかありません。とすれば気功は,人間がよりよく生きていく
営みの全行程に関係し,そのベースを形作るものと言えないでしょうか。
※「やさしい気功のミニ講座」としては, 今回は少々ヘビーになってしまった
ようです。ご勘弁を。
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【やさしい気功のミニ講座】
発行元: 日本気功倶楽部
監 修: 藤岡 正巳 (主席指導員)
編 集: 正田 竜二
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