藤岡 正巳


(05)気功の名称
 
医療気功の確立をめざして




【  「内養功」の劉貴珍 】
   
   
   私たち日本人が「気功」といえば,早朝から公園で隊列を組みながら演ずる,

   老若男女の中国人の姿を想像しますが,いつの時代でもそうであったわけでは

   ないのです。近代中国の初めの百年は, 大変な時代だったようです。清朝の末

   期には,日本の26倍もある広大な国土が, アメリカやイギリスをはじめとした

   世界の列強によって分割され,植民地化されてしまったのです。1840年に始

   まった「アヘン戦争」から,1949年の「中華人民共和国」成立宣言まで,中国

   は動乱の真っ只中にあったのです。「気功」は,各流派の中で細々と受け継が

   れているだけで,多くの中国人にとっては,それどころではなかったのです。そ

    んな時代に,のちに「気功」の名付け親にになる 「内養功」の劉貴珍(りゅうき

    ちん)がいました。劉貴珍は, 気功の功法の中で今日最も有名な「内養功」の六

     代の継承者でした。彼が気功に出会う前は,ひどい胃潰瘍で長い間悩まされ続

    けてきたのです。そのうえ, 肺結核、神経症, 不眠症を患い, 20キロラムもげっそ

     りとやせ細ったそうです。1948年,五代目の劉渡舟から「内養功」の教えを受け,

それを実践した結果,持病が見事に治ったのです



   

  
 【 「気功」の名付け親 劉貴珍 】   
      
  
   「中華人民共和国」が成立し,ちようど劉貴珍が気功の効果を実感していた頃

   気功にとって新しい風が吹き始めました。革命後の中国は徹底的に貧しく, 医

   療品の不足が深刻でした。毛沢東主席は, 中国医学と西洋医学の統合を唱え,

   伝統的な中医学の保護育成のための政策がとられました。1949年の冬,党機関

   の命により劉貴珍は,河北省にある共産党幹部のサナトリウム勤務となり,そ

   こで「内養功」を指導することになりました。結果は素晴らしいものでした。

   ここから劉貴珍は,共産党の支持を受けて, 国民の共有財産としての「医療気

   功」の確立をめざすことになります。1954年, 中国最初の気功治療の唐山気功

   療養所を開設, 続く1956年、北戴河気功療養所を開設し, 気功を指導すると共

   に, 臨床観察と人材の育成に当たりました。さらに, これらの気功療養所の経

   験をもとに, 1957年に劉貴珍は「気功療法の実践」を著し,それまで流派の中

   でさまざまに呼ばれていた名前に代えて,厳密な解釈を与えた上で「気功」を

   統一の名称として提案しました。幸いなことに関係者の多くの支持を得て,こ

   こに「気功」が正式の用語として確定され,そして今日に至ったのです。中国

   の近代気功は,この劉貴珍の登場によって幕が落とされたといっても過言では

   ありません。



  
 【 「気功」の名称の狙い 医療気功の確立をめざして 】  

   
   劉貴珍が「気功」を正式の名称として提案したその狙いは, 単にレッテルを張

   り替えるというものではありませんでした。誰にでもできる国民の共有財産と

   しての「医療気功」の確立をめざすためのものでした。劉貴珍による「医療気

   功」の実践が始まったものの, 当時の中国国民の間では, 気功はまだ「有害な

   迷信」に過ぎなかったのです。劉貴珍でさえ, 最初のうちは「内養功」を迷信

   として拒否したほどでした。各流派が名づけた古い名称を見ると, 迷信の域を

   超えて, なにやら恐ろし雰囲気さえ醸し出しています。練丹, 玄功, 性功, 脈

   気, 胎息, 返観, 止観, 布気, 吐納。これらの名称を使う限り, 最初から拒絶

   反応が現れてくるのは明らかです。そこから劉貴珍は, 「気は呼吸、功は呼吸

   を調整して姿勢動作を練習する」という意味で, 「気功」という用語を提案し

   たのでした。時代の転換点では, ネーミングを代えることでイメージ一新させ

   変革の強い推進力になることがあるようです。

   

   【中国近代気功の始まり】  

   
   劉貴珍は, 「気功療法実践」の中で「気功」の用語を提案すると共に, 気功の

   鍛錬方法として「内養功」「強壮功」「自己保健法」の三つにまとめました。

   「内養功」は, 劉貴珍の胃潰瘍で証明されたように, 胃潰瘍や十二指腸潰瘍,

   慢性胃炎や慢性腸炎などの消化器系の疾患に特に治療効果が高いとされてい

   ます。「強壮功」は, 儒教・道教・仏教の諸功法を整理してまとめたもので, 神

   経系の疾患に特に効果があるとされています。また「自己保健法」とは今日,

   日本のどこの気功教室でも行われている「耳功」「舌功」「目功」などの自分

   でできる保健功のことです。このように見てくると, 劉貴珍が正式の名称とし

   て「気功」を提案したのは, 近代中国における「医療気功」の確立をめざした

   壮大な構想の一環であったことが分かります。気功とは違いますが, 日本のラ

   ジオ体操の普及をイメージすると理解しやすいかと思います。劉貴珍は, 「一

   代相伝」という掟を破って「内養功」を一般公開し, 古くからの迷信を取り除

   き,劉渡舟と共に指導にあたったのです。ここに, 中国近代気功の幕が切って

   落とされたのです。




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   【やさしい気功のミニ講座】
   
   発行元: 日本気功倶楽部
   監 修: 藤岡 正巳 (主席指導員)
   編 集: 正田 竜二
   
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