並木克敏(天地一道)著

「バーチャル気功空間 気の世界」

2001.05.05 創刊




第六章 気との遭遇 その2
   
(06-04) 沖縄の葬祭文化

死後33年後に祖神になる

2005年03月31日 (No.68号)
   


【 貧乏旅 歩け歩け 】

   
若いときにさかんに国内を一人旅をしたのだが, 今でも最も強烈な残像が

   心の底に焼きついて離れないのが, 南国に浮かぶ島, 沖縄の旅である。

   日本の国内でありながら, 沖縄人の独特のある生き方について, それま

   で経験したことのない, 強いカルチャー・ショックを受けてしまった。それは

   日本での当たり前の日常の暮らしから離れて, 初めて海外旅行をしたとき,

   誰もが受けるであろうカルチャー・ショックの程度をはるかに超えていた。

   それほどに沖縄のある生き方から受けた印象は強烈であった。若い頃の

   私の旅の目的は, 風景を楽しむとか, 郷土の味を楽しむとか, ましてや湯

   治で心を癒すとかというように, 旅行を楽しむこととは無縁であった。第一

   に貧乏でお金が無いのだから, 泊まる宿も最低のランクで, 素泊まりする

   だけで食事も出ない。お風呂がついていれば, これ以上望むべきもない

   ないほどに, 当時私には上等な宿の部類であった。食事はと云えば, 主

   にパンと牛乳で一日二食が普通で, コーヒー・ショップでカメリカンを飲む

   ほどの余裕はさらさらなかった。旅行のガイドブックと地図を片手に, ただ

   ひたすら歩き廻り, 貪欲に見ることであった。京都を訪れたときは, 京都の

   市街地から始まり, 清水寺, 銀閣寺, 大徳寺, 金閣寺などを通って嵐山へ

   と, バスや電車にもほとんど乗らず, 一週間歩き詰めの日々であつた。そ

   んなわけで旅から帰ると, いつも数キロは痩せこけてしまった。他人から

   すれば, なんでわざわざ辛い旅をするのかと思うに違いない。それは私

   が東京で生まれ, 東京で戦後の貧しい時代から高度経済成長の時代に

   育ったことと関係しているように思う。


   
【 東京下町文化の消滅 】
   
   
   子供の頃を振り返ってみると, 東京にも下町文化というものが色濃く残っ

   ていたように思う。町内会の夏祭りや盆踊りという公式な行事ばかりでは

   なく, 子供の鬼ごっこや缶蹴り, 大人の縁台でのヘボ将棋, そして大人と

   子供を交えた線香花火などと, その当時はまだ生活道路を介して喜怒哀

   楽を共にする地縁は確実に存在していた。他人の子供を叱りつけるオジ

   サンはどこにでもいた。それが高度経済の成長期に, お父さんは会社人

   間になり, 子供たちはテレビを見るのに夢中で家の中に閉じこもってしま

   つたおかげで, 生活道路から人が消えてしまった。道路は, もはやそそく

   さと通過するだけの役割でしかなくなってしまった。高度経済成長路線に

   よって, 食べ物も着る物も, そしてテレビなどの電化製品も, 物質的には

   大変豊かになったけれど, 経済社会の中に組み込まれていない未熟な

   学生の私は, 何か大切なものが失われていくことへの不安を心の奥で感

   じていた。おそらく, 私が一世代上の人間だったら, 会社人間として行け

   々々どんどんと突っ走ったに違いない。

   そして町内を見渡してみると, 東京の下町文化は跡形も無く消えていた。

   隣近所とは挨拶する程度で, 喜怒哀楽を共有する地縁はもはやない。そ

   れは, 失われたものへの感傷というのではなく, 自分を支えてくれるもの

   が何も無くなってしまったという感覚である。それまでは何も疑問を感ずる

   ことも無く, 漠然と生きてきたのであるが, 水中に漂う根無し草となったこと

   を自分で実感したとき, 己の存在と生き方が見えなくなってしまったのであ

   る。江戸ことばの中に「江戸っ子は五月の鯉の吹流し, 口先ばかりにて腸

   (はらわた)は無し」というのがあるが, 「さっぱりしている」とも「内容がない」

   ともとれるようで, 東京人にはもともとこの傾向が強いのである。大学生に

   なってから, 下町文化の面影を今も残す, 佃島や根津や谷中などの町並

   みを写真に撮るようになったのも, 今想うと水中に漂う根無し草となった自

   分を見つめ直す作業だったのかも知れない。東京には, まぶしくキラキラ

   と輝く文明はあるけれど, 生きる知恵の詰まった文化は失われてしまった

   のである。人は何を「糧」に生きてきたのか, あるいは何を「糧」に今を生き

   ているのか。これが, その当時の私の最大の関心事であり, それだけに

   異文化への強い渇望があった。



   【 奇妙な光景 住まいとお墓の共存 】  
   

   沖縄の空港からは那覇の繁華街を避けて, 沖縄の人が普通に暮らす町

   に入った。繁華街には興味がなかった。その小さな町で最初に目に止ま

   ったのは, 老人たちの溌剌とした顔の輝きであった。特に, オバチャンた

   ちの目は生き生きとしていて, しかも明るく屈託がない。動作も機敏で若

   々しくもある。東京に住むご老人の暗い目を見慣れていた私には驚きで

   あった。このオバチャンたちの背後にはいったい何があるのかと, 一人漠

   然と考えていた。これが沖縄の第一印象であった。

   那覇から西海岸沿いにバスで北端の辺戸岬まで北上する予定で, 小さ

   なバス・ロータリーへと向かった。時刻表を見るとやはりであった。次のバ

   スが来るまでに一時間ほどの空きがあった。徹底的に見ることが目的なの

   で, ぼけっと時間をつぶすわけにはいかない。ロータリーの横道を抜けて

   裏へ行くと, 今まで見たことの無い得体の知れない「なんだーこれは」とい

   う物体が目に飛び込んできた。平屋の家ほどの大きさのコンクリートの塊

   であるけれど, 人間が住む住宅ではない。隣には現代風の住宅があるか

   らである。住宅とコンクリートの物体が隣り合わせに並ぶ風景は, 私には

   かなりの違和感を感じるけれど, ここを通る現地の人は意に介さないような

   のである。恐る々々眉毛の濃いおじさんに, この物体は一体何なのかと

   聞いてみた。返ってきた答えは, 意外なものであった。この奇妙な物体は

   「お墓」だと言うのである。


 
   【 墓前で陽気に踊る沖縄人 】   


   沖縄に来る前に地理や歴史や文化などを一通り調べていたので, 「亀

   甲墓(きっこうぼ)」という特殊なお墓があることは知っていた。ただ参考

   書の写真には「亀甲墓」は, 小さな丘の麓に築かれていたので, 街中で

   出会うとはまったく予想だにしていなかった。本土(沖縄人の呼び方)で

   は, お墓はお寺の中でまとまって設けられるのが常識であり, 人間が暮

   らす生活空間とは厳然と区別されるものだと考えていた。ところが沖縄

   では, 本土の常識とは異なる光景が, いくつも目に飛び込んできたので

   ある。北端にある辺戸岬へ行く途中のバス停の直ぐ脇には, 切妻の「家

   型墓」が三つほど, バスを待つかのようにさり気なく置かれていた。南部

   の「亀甲墓」の前では, ゴザを敷いて数人の男女が酒盛りをしながら, 陽

   気そうに踊っているのである。こんな経験を重ねてくると, 沖縄では人間

   が暮らす生活空間の中に, 当たり前のようにお墓が入り込んでいるのを

   知ることになる。それは何を意味するのか。それが問題だ。そのために

   は, 沖縄文化の核心のひとつをなす葬祭文化について簡単に触れてお

   きたい。



  【 死後三十三年後に, 祖神となる 】
   
   
   沖縄のお墓には, 本土の御影石のものとは違い, 「亀甲墓」と「家型墓」

   の二つがある。そのうち「亀甲墓」の歴史は古く, 中国南部から伝えられ

   たものと云われ, 女性の身体を象徴している。「亀甲墓」は, 死者を安置

   する部屋の部分と, 人間が祀る前庭の部分で構成されている。部屋は,

   小さな山に埋もれていて外からは見えない。また前庭は, 女性が股を大

   きく開いたような形になっていて, 部屋の入り口が女性器に相当する。母

   胎から生まれ, 母胎に帰るという発想のようである。お墓がユニークなら

   ば, 祀り方もまた驚くべきものがある。細かい点は省略するとして, 死者は

   まず寝棺に入れられ, 石の扉を開いて中央に安置される。安置された後

   石扉は漆喰で厳重に封印され, 七回忌が過ぎるのを待つ。ここからが,

   沖縄独特の「洗骨」という風習がある。「洗骨」とは, お墓の前に女性たち

   が集まり, 石扉を開いて寝棺を引き出し, 頭蓋骨から順番に骨を綺麗に

   洗うという儀式である。洗骨された骨は厨子に入れられ, 先立っていった

   親族と共に棚に並べられる。そして, 三十三年が経つと厨子の骨は, 祖

   先の骨が納められている中央の一番奥にある凹所へと入れられ, その

   霊は祖神と合一することになる。死後の三十三年目に, やっと死者は抽

   象的な祖神となったのである。



【 生者と死者の共生 】


   この葬祭文化が意味するものは, 生者と死者が途切れることなく, 幾代

   にわたって連綿と繋がっていることである。沖縄本島では, 霊魂は生霊

   (イチマブイ) と死霊 (シニマブイ) からなり, 「死者」とは生霊から死霊が

   一時的に遊離した状態で, 死後の四十九日間は墓と実家の間を往来

   するとされた。 死者の住む来世は現世の延長であり, 来世でも現世と

   同じ生活をしていると考えられている。そのことから, 先に亡くなった人

   々へのお土産を持たせる風習もあったと云う。つまり, この沖の墓は,

   現世と来世, 生者と死者をつなぐ門だったのである。死霊は, 四十九日

   が過ぎても定期的に, 現世に戻ってくる身近な存在だった。それだから

   こそ, 沖縄で「住まい」と「お墓」が隣り合わせで並存しているのである。

   それは, 「生者」と「死者」が同じ空間と時間で共に生きているのであり,

   「生」と「死」が連綿と繋がっていることを意味していた。死後の三十三

   年目に, 死者が抽象的な祖神となるまで, 生者の傍で共に生き続けて

   いるのである。死者とは, 沖縄人にとって必ずしも「死」を意味するも

   のではなかつた。「死」はいつの時代にも, 人間にとって最大の悩み

   であり, 鬱の源であり, 一番の恐怖に違いない。優れた文化とは, 前

   頭葉を極度に発達させてきた, 人間のよりよく生きるための知恵の総

   体なのである。沖縄のおバチャンたちの生き生きとした目の輝きは, 「生」

   と「死」が途切れることなく, 祖先の代から連綿として今も繋がっている

   という確信に裏打ちされているように思える。戦後, 沖縄でも火葬が一

  般化し, 「洗骨」の風習は消えた。そのとき「生」と「死」の連続性は切

   れたのである。帰りのタクシーの中で, 「洗骨がなくなったので今の女

  性たちは楽になったよ」と運転手が話してくれたが, 水中に漂う根無

   し草となった, 東京人の私としては複雑な想いであった。便利さと, 快

   適さと, 快楽だけを求める現代人の先に何があるのであろうか。沖縄は

  最近まで男女共に日本一の長寿県であったのだが, 食事の欧米化に

  より男性は日本一の地位から転げ落ちてしまった。おいしい生活は,

必ずしも幸福とは限らないのである。



 
   
** 会員からのメッセージ ***********************


『気功を始めた理由』(宮城 運動部♂)

   会員のKSです。馬歩椿を以下のように実施しましたので, ご報告します。   
   2/22月 30分
   2/23火 30分
   2/24水 40分
   2/25木 9分+25分
   2/26土 11分
   2/27日 20分
   2/28月 30分
   3/1火  40分
   3/2水  7分
   3/3木  40分
   3/4金  7分
   3/5土  飲酒で出来ず
   3/6日  出来ず
   3/7月  出来ず
   3/8火  40分
   3/9水  40分  
   毎日同じ時間帯にというのは殆ど不可能ですが、何とかやっています。やり
   始めるとすぐに手が少ししびれてきます。時々掌の一部が痛くなることがあり
   ます。
  
   やってみようと思った動機は、
   1. 部活の指導をしていて、女子部員の腰痛をセクハラにならない形で治せ
      ないか、と思った。
   2.部活の学生に、時々過呼吸を起こす部員がいるが、過呼吸の治療、矯正
の参考にならないかと思った。
   3.猫の慢性腎不全は直らない進行性の病気なのですが、我が家の猫の弱
     った腎臓の細胞を活性化させられないかと考えた。以上です。』


   『弱い気感ですが』(青森 スキーのインストラクター♂)
   
   『お忙しいところ、初心者の質問にすぐにお答え頂きまして、大変ありがとうご
   ざいました。疑問が解けて、一層錬功に精進できると思います。
   ちなみに、私はスキー(インストラクター)をしているためか、スキーの中腰の
   姿勢に慣れており、頑張ったら1回40分はできます。それから、立禅功の際
   に感じる感覚については、まだ気感と言えるかどうか分かりませんが、立禅功
   を10分以上続けて、平行に前に出している腕の間隔を少し(5cm程度)狭め
   たり、また元の位置に戻したりを繰り返すと、狭める際、両手の間の空気に磁
   石が反発するような弾力を感じます。腕全体ではなく手首から手のひらにか
   けてです。この程度ですから、まだ気感とはいえないかもしれませんが、この
   先の感覚が楽しみです。以上です。』

   
   『気感がわからなくなってしまいました』(石川県 Aさん♂)
   
   『気の質が上がると感じにくい気になったりしますか?最近出てるかどうかわか
   らないのです。近くにやるとわからないけど離すとわかったり・・・。ほかの人に
   当ててもわからないといわれるようになりました。敏感な人に試してもわからな
   いといわれます。でも体温が高いねとは言われますが触れたときだけですの
   で気感ではないと思うのですが。外気内収がちゃんとできていないのに, む
   やみに放出しているからでしょうか?
   外気導引法ためさせてくれる人がようやく見つかったので試してみたところ結
   果動かなかったのですが、発功してるあいだ背中が痛いといわれました。夾
   脊関のあたりが痛いみたいでした。どんなことが相手の体に起こっているので
   しょうか?背中を気が上ったのかと思っているんですが・・・。』

   ※倶楽部より一言

    これは明らかに気の出し過ぎです。内気が充実していないのに, 内気外発
    を繰り返せば, ただ消耗するだけです。教科書の中に書かれているように,
    ほどほどに試すことに留めて下さい。このまま外気内発をし続けると, 身体に
    害を及ぼすだけではなく, 気的パワーがいつまでたっても強くなりません。内
    気外発は本来, 外気功初級のカリキュラムをこなして, 内気が自然に身体か
    ら溢れ出てくる段階で行うものです。もし, 会員の方で同様な経験をしてい
    るのであれば, 内気外発は直ちに中止して, 練功のみに励んで下さい。気
    功をやって身体を悪くしたのでは, まったく意味がないと思います。




 ※気功やこのメルマガの内容に関して, ご意見やご質問がありましたら, 是非
   
お寄せ下さい。お待ちしています。
   
    Email aam13920@nyc.odn.ne.jp  編集  正田 竜二
  



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【バーチャル気功空間 気の世界】月刊
                                   
   発行元: 日本気功倶楽部

監 修: 天地 一道
東京芸術大学美術学部大学院終了

編 集: 正田 竜二


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