並木克敏(天地一道)

「バーチャル気功空間 気の世界」

2001.05.05 創刊




第五章 気との遭遇
   
(05-01) 一指禅功とは(その一)

千五百年の時空を超えて 追体験可能 (No.53)

   

2003.12.24
   


   【ダルマ大師の創始 千五百年前】   
      
   
   
一指禅功の源流は, インドの禅宗二十八代伝承者である「達磨(ダルマ)大師」

   が, 南北朝時代の紀元527年に中国の嵩山少林寺(北寺)に伝えたことにある。

   六世紀初めといえば,日本では今だ聖徳太子も生まれておらず(574年生説),

   大伴や物部など数ある豪族の中でやっと蘇我氏が力をつけ始めたそんな時代で

   あった。それから百年余過ぎた唐代の661年頃, 嵩山少林寺の僧侶「智空」は,

   福建省の清源山 の麓に新たに東禅少林寺(南寺)を建立し,智空は少林南寺の

   初代の伝承者となる。丁度その頃,朝鮮半島では唐と新羅の連合軍が,百済を

   滅ぼすという大事件が起こっていた。嵩山少林寺や東禅少林寺の時代を,年代

   だけで軽く表現すると,リアリティを感じることができないけれど,誰もが知

   っている歴史の出来事を挿入すれば,その古めかしさが実感できよう。一指禅

   功は,創立以来千五百年の間,一般の人々に一切公開することなく,門外不出

   の秘術として禅宗の僧侶の間だけに受け継がれることになる。しかも秘伝中の

   「奥義」は, その時代の伝承者から, 次代を担うただ一人の伝承者にのみ「単

   伝」として継承されてきた。このようにして一指禅功は,禅院の中に封印され

   てしまい,一般人との接触は,まったく断ってしまったのである。こんな由来

   を聞くと,一指禅功がいかに長い歴史をもっているか,お分かりいただけるも

   のと思う。



   
【千五百年の時空を超えて 人と過去との間に】

   
   千五百年という気の遠くなるような時空を隔てて,人は過去との間に,はたし

   てどのような関わりもつことができるのだろうか。たとえば,私たちが聖徳太

   子の時代について知りたくなったとしよう。そのために最初にすることは,史

   家によって書かれた歴史の書を開くことになるであろう。飛鳥時代とはいかな

   る時代だったのか,そこでどのような人物が活躍したのかを,まずは知る必要

   がある。そして時代の様子を頭に描くことができるようになったら,次に私た

   ちは地図を片手に「飛鳥の地」を訪れるだろう。かつて太子が登ったという甘

   橿丘(あまがしのおか)に立ち,太子と同じように「飛鳥」の風景を一望するこ

   とになるだろう。そこでもし,韓国に行ったことがある人なら,「飛鳥の地」

   が韓国の農村風景に,とても似ていることを発見すると思う。それも,百済の

   首都であった扶余近郊の風景に似ていることを。というのは,663年に唐と新

   羅の連合軍に滅ぼされた百済人の一部が,日本海を渡って日本に移り住むこと

   になるが,それよりもはるか以前に,「飛鳥の地」には朝鮮半島の帰化人が住
 
   んでいたのである。「日本書紀」によれば,雄略天皇十二年の条に『呉の使い

   を迎へ,呉人を檜隅の野に安置らしむ。因りて呉原と名づく』と書かれている。

   5世紀の後半のことである。「呉原」とは,現存する集落の栗原に転じたもの

   と考えられている。確かに「飛鳥の地」には,日本の風景としては異質に感じ
 
   られ,渡来人を想わせるような遺跡や遺物が数多く存在している。酒舟石や亀
 
   石,猿石や二面石などは,日本の造形の中で異質である。はるかなる昔,渡来

   人は故郷の風景と似た「飛鳥の地」に,親近感や安心感をおぼえたに違いない。



   
【千五百年の時空を超えて 人と古人との間に】

   
   歴史の書を調べ,断片的な知識を寄せ集め,在りし日の姿を思い浮かべながら,

   現地を訪れて,飛鳥の風景を眺め,石舞台古墳や猿石などを見て歩いたとして

   も,そこには想像の域を出ないもどかしさがある。太子が聞いていたであろう

   音や,村落に漂う匂いなどを体感することができないし,ましてや太子の眼差

   しや心の中を垣間見ることなどできないのである。霊媒師ではないのだから,

   それは当然のことであり,故人の恨みの深さまでも知ることはできない。私た

   ちが過去との間にもちうる関係は,事実関係を基にしながら,大いなる想像力

   を働かせて,目一杯に追想像するだけである。それとて,新しい事実が発見さ

   れれば,一瞬にして消えるはかない運命でもある。歴史とは,その時代を生き

   ている人間が行う解釈だからである。先ごろ発見された青森の縄文遺跡である

   「三内丸山遺跡」の発掘は,衣食住の全分野にわたって,従来の歴史の定説を

   すべて木っ端みじんに砕いてしまった。人と古人との間には,野坂昭如の『黒

   の舟歌』に出でくる男と女の間のように「深くて暗い河がある」のである。と

   ころが世界は広いもので,千五百年の時空を超えて,古人と私たち現代人とが

   共感しうる世界が今も存在している。それが「一指禅功」なのである。嵩山少

   林寺や東禅少林寺の時代に,禅院の中で僧侶たちが体験した不思議な数々の感

   覚を,誰でも追体験できるのである。それはどうしてそうなったのか。

  

   
【若き指導者「闕阿水」の登場】

   
   一指禅功が,禅院の中に封印されて一般人との接触を断ったままでは,禅宗の

   僧侶しか体験することはできない。一般の人が近づけるようになるには,まず

   一指禅功が禅院から解き放なされる必要があった。キリスト教の修道士が修道

   院から出て,世界各地で布教活動をしたように,禅院を飛び出した僧侶が,一

   指禅功の普及に努めたのであろうか。いや,そうではなかった。それは,毛沢

   東の率いる紅軍による中国革命の成功によって外からもたらされたのである。

   当時の社会主義思想からすれば,「宗教はアヘン」に等しく害あるものとされ,

   革命政府は宗教を禁止し,廃寺政策をとった。その結果,すべての僧侶は寺を

   捨て,普通の人々の生活に戻るために還俗することになる。それらの人々の中

   に,一指禅功の新しい時代を担う第十七代伝承者の若き指導者「闕阿水」がい

   た。「闕阿水」は,薬も買えない革命後の貧しい中国の人々のために,外気治

   療を施し病気の苦しみから解放すると共に,黄仁忠、王瑞亭, 胡吉甫、劉茂林、

   姜廟桃、張金発、蔡秋白, 林厚省などの直弟子を育てた。このとき, 一指禅功

   の単伝の戒律(伝承者から次代を担う唯一の伝承者へ)を闕阿水は, 自ら破っ

   たのである。もはや時代は, 一指禅功が禅院の中だけの「秘術」であることを

   許さなくなっていたのである。こうして一指禅功は,闕阿水老師の直弟子や孫

   弟子を通じて,中国だけでなく世界各地で,一般公開されことになり,いまや

   数百万の人々が日々,鍛錬に勤しんでいる。


   
  
 【千五百年の時空を超えて 追体験】

   
   私たち日本人が今日,一指禅功を学ぶことができるのは,元をただせば,中国

   革命を契機とした「闕阿水老師」の決断にあった。一指禅功と接触することが

   できなければ,千五百年の時空を超えて,古人と私たち現代人とが共感するこ

   とはできない。そういう機会をが与えてくれたのが「闕阿水老師」であった。

   さて,くどくど書いてきたが,古人と私たち現代人との間の「共感」とは,ど

   ういうことを意味しているのであろうか。結論からいえば,「共感」とは,一

   指禅功の鍛錬中に身体の内側から沸き起こってくる強烈な気感のことである。

   この気の感覚は,一過性のものもあるが,練功の回数を重ねるに従って普遍的

   なものになってくる。ある功法では,両手の平に風船玉ができたり,また別の

   功法では,後頭部に稲妻が走ったりすることもある。この気感は,功法に特有

   の普遍的な反応であるが故に,千五百年前の古人が感じた気感を,現代人の私

   たちも共感することができるのである。一指禅功は,千五百年の時空を超えて,

   古人が感じた感覚を,内側から追体験できるのである。素晴らしいことではな

   いか。ある本で中国の太極拳の老大家が,二十年で気を感じ,三十年で気を操

   ることができるようになったと書いてあったが,それでは遅すぎるのである。

       

** 会員からのメッセージ ********************


   『外気治療ができない』(栃木 自営業♂)
   
   『私は先日,外気功初級を終了したOSです。練功はほとんど毎日休まずに続
   けています。それなのに,外気治療になると気が出ていないようなのです。肩
   凝りや腰痛の治療を手順通りにやっても,効果が得られないのです。一指禅功
   は二年ほどやれば,外気治療ができるようになると書いてありますが,どこに
   問題があるのでしょうか。教えて下さい。なお,私は若い頃より柔道をやって
   きました。』


   ※倶楽部より一言

   『一指禅功を二年やれば,すべての人が直ぐに外気治療ができるわけではあり
   ません。物事はどれも同じでしょうが,早くマスターできる人がいれば,逆に
   そうでない人もいます。気功の潜在能力は,個人差が大きいのです。あえて,
   マスターが遅い人の共通項を上げるならば,身体も頭もリラックスする機会が
   乏しいということです。練功するときも,格闘技をやるかのように構え,日常
   生活でも競争心をむき出しにするなどです。音楽を聴いたり,絵画を見たり,
   野菜と会話したりと,文化活動が意外にも,気功の能力開発に必要なことなの
   です。栃木の自営業さん,よかったら以下のメルマガを読んで下さい。
   「第2章潜在能力の開発(08)気功は技術 技術故に, 磨けば誰でも落ちこぼれ
   なし」。ホームページ「バーチャル気功道場」のメニューの中にあります。そ
   の中に出くる柔道三段の猛者は,今はあるところで一指禅功の指導員をしてい
   ます。あきらめないでよかったのです。』


             
  
** 購読者コーナ ************************
 
 
   □ 意見 「気は見えるものなのですね」□   
   
   『気の視方を送っていただき,ありがとうございました。早速,蛍光灯の豆電
   球で試してみました。最初は何も見えなかったのですが,寝る前にペッドの中
   で一週間ほどやっていたら,指の先に薄っすらと白いモヤのようなものが見え
   るようになりました。二週間ほど続けてみたら,かなりはっきりとしてきまし
   た。気が見えるとは知りませんでした。誰でも出ているのでしょうか。驚きで
   す。友達にも教えてやりたいと思います。』(静岡 学生♀)


   □ 意見 「気は光かも」 □    
     
   『私は太極拳を三年ほどやっていますが,先生から気は見えるものとは聞いた
   ことがありませんでした。今回やってみたら,指先から真っ直ぐに伸びる蜃気
   楼のようなものが見えました。指先の気は,下向きとか上向きには出ていない
   のですね。試しに口をすぼめて息を吹きかけてみましたが,まったく動きませ
   んでした。気はタバコの煙のようなものではないのですね。私には,ぼ〜とし
   た光のように見えます。』(東京 忠犬ハチ公♂)


   □ 意見 「気の視方を要望したものですが」□   
   
   『こんにちは。前回「気の視方」を要望した者です。気が見えるなんて眉唾も
   のだと,半信半疑でいました。ところがどっこい,本当に気が見えてしまいま
   した。指先から五本の真っ直ぐに伸びた白い物体が出ています。これ「何」と
   いう感じです。気が見えたのですから,約束通り貴倶楽部に入会させていただ
   きます。無料で貴重な「気の視方」をプレゼントしてくれたのですから,入会
   すればもっと凄いことが得られるのではと,内心大いなる期待をしています。
   よろしく,お願いします。』(秋田 米倉♂)

                        

   ※気功やこのメルマガの内容に関して, ご意見やご質問がありましたら, 是非
   
お寄せ下さい。お待ちしています。
   
    Email aam13920@nyc.odn.ne.jp 編集 正田 竜二
  



      
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        【バーチャル気功空間 気の世界】月刊  
                                   
    発行元: 日本気功倶楽部
   監 修: 天地 一道
   編 集: 正田 竜二


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