並木克敏(天地一道)

「バーチャル気功空間 気の世界」

2001.05.05 創刊




第四章 気と社会
   
(04-11) 現代社会の中の孤独

社会構造に内在する必然性 (No.51)

   

2003.10.18
   


   【ブッダの認識 「人生は苦なり」】   
      
   
   
ブッダが,一つの偉大な宗教として「仏教」を成立させた大前提に,「人生は

   苦なり」という根本認識があった。もし,私たち現代人が「人生はすべて楽な

   り」と感じるならば,仏教は色あせたものになるはずである。はたして,人生

   は苦なるものか,楽なるものか。現代の社会に触れる前に,仏教が仏教として

   存在しうるための,「根っこ」の部分を少しだけ見ておきたい。仏教の教えを

   注意深く見ると,現代の日本人の姿が,逆に浮かび上がってくるからである。

   仏教の根本的な真理をなすものに,四聖諦(ししょうたい)という教理がある。

   教理というと難しそうであるが,宗教は人の生きる道を示すものであり,誰も

   が多少なりとも関わり合っているのであるから,日常的な言葉で表現すれば理

   解し易いと思われる。四聖諦とは,四つの神聖な真理ということで,苦聖諦,

   集聖諦,滅聖諦,道聖諦と,「人生は苦なり」に始まり,最後に悟りへの道が

   示されている。これは,仏教の教理の基本的な構造ということができる。苦聖

   諦とは,人生は苦であるという真理,集聖諦とは,その苦悩は欲望や執着心に

   原因があるという真理,滅聖諦とは,苦悩の原因である煩悩が,完全に消滅し

   た涅槃の状態にあるという真理,そして道聖諦とは,涅槃に到達するための実

   践方法を説いたものである。前者の苦聖諦,集聖諦が「迷いの因果」で,後者

   の滅聖諦,道聖諦が「悟りの因果」という構造になっている。


   

   【四苦八苦の由来】

   
   
現代人の私から見て最も興味が誘われるのは,ブッダが人間の存在を「人生は
   
   苦なり」と断定していることである。苦聖諦(くしょうたい)によれば,人生の

   四苦とは「生・老・病・死」であるという。この世に生まれてきたこと,年を

   とること,病気をすること,死ぬことが,四つの苦悩であるというのだ。ブッ

   ダによれば「生まれてくるんじゃなかった」ということになる。この四苦に,

   愛別離苦,怨憎会苦,求不得苦,そして五陰盛苦の四苦を加えたものが八苦で

   ある。「四苦八苦」の由来である。この苦聖諦の背景には,どの国でも,どの

   社会でもそうであったように,近代以前の過酷で悲惨な生活がある。絶え間な

   い戦争,災害,飢饉,疫病など,その日の食料を確保することが,今を生き続

   ける唯一の生き方であった時代の産物であるように思える。

   現代の状況は,大きく変わった。すべての人が,この世に「生」まれてきたこ

   とを,もはや苦悩だと思うことはあるまい。人生の目的は,何かを成すことで

   はなくて,楽しむことである。これが現代日本の若者の人生観である。また,

   人生わずか50年でもない。栄養状態がよいため「老」いても元気なお年寄り

   が増えている。人生80年は,人によっては長過ぎるかも知れない。それに加

   えて,遺伝子治療や再生治療の発達は,「病」と「死」の概念を根本的に変え

   つつある。仏教の存在理由は,現代の日本では随分と怪しくなってきたのであ

   る。   

   


   【ブッダの苦悩の中に「孤独感」がない】

   
   
苦聖諦の八苦を見ていると,人間の苦悩の中に「孤独」という項目が含まれて

   いないことに気づく。人間関係については,唯一「愛別離苦」があるが,これ

   は愛するものとの離別の苦しみであって,孤独そのものの苦悩ではない。それ

   とは逆に怨み憎しむものと会わなければならない苦みとされる「怨憎会苦」が

   ある。このことからブッダの時代には,うっとうしいほどに濃密な人間関係が

   存在していたことが想像される。今あるように,人の人との間の絆が根こそぎ

   失われてしまったかのごとき孤独感は,存在しなかったように見える。

   それでは「孤独感」が,人の心の奥に棲むようになったのは,いつのころから

   であろうか。かつて,第四章の「(02)生のリアリティの喪失」の中で,戦後の

   日本における人間関係の喪失の過程について,次のように触れたことがある。

   人と人との関係の希薄さは『高度経済成長の時期に, 都会ではまず地縁の喪失

   に始まり, 会社人間の出現と共に家族の団欒が解体し, バブルの崩壊に至って

   親子の断絶を生み出したという軌跡が辿れよう。そして現在, 人と人との関係

   の希薄さは, 携帯電話やインターネットの登場によって一段と加速し, 今まさ

   に身近な親友よりもメル友という時代を迎えているのである』と書いた。しか

   し,これは人間関係の喪失過程の「現象」について触れただけで,近代社会に

   内在する問題とは捉えられていない。「孤独感」の発生は,実は近代市民社会

   の成立の真っ只中にあったのである。その意味では,近代化された社会であれ

   ば,孤独な心は国を選びはしないのである。




   【「孤独感」 近代市民社会に内在】

   
   
近代市民社会について,平凡社の世界大百科事典に,次のように書かれている。

   『市民革命というのは,一般的には,封建的・絶対主義的な社会および国家権力

   を解体させて,近代に特有な市民社会を実現させるような革命をいい,具体的に

   は,イギリス革命(ピューリタン革命および名誉革命),アメリカ独立革命,フラ

   ンス革命などがそれに属するとされる。だが,市民革命によって実現される市民

   社会なるものは,一方で,自由・平等な個人の結合体としての civilsociety の

   側面をもち,また他方で,ブルジョアジーの支配する資本主義社会ないしブルジ

   ョア社会という側面をもっている』というのである。「ブルジョアジーの支配」

   うんぬんについてはさておき,近代市民社会とは,「自由かつ平等」な自律的な

   個人が構成する社会ということになる。近代市民社会の本質は,「自由と平等」

   という,たった二つの原則が支配する社会であったのだ。個人の「自由」が保証

   され,お互いに制約されることなく「平等」であるならば,論理的に考えるなら,

   お互いを結びつける「内なる絆」がどこにも見当たらないことになる。一人一人

   が,それぞれ別の方向に向かって,歩み続けることになるからである。お互いに

   「内なる絆」がないとすれば,近代人はその出発からして原子化した孤独な存在

   なのである。もはや「家主といえば親も同然」という社会ではないのである。近

   代市民社会の人間関係は,肉親のような「心の絆」で結ばれるのではなく,目的

   や趣味や興味によって結びつくだけなのである。 




   【気功 偉大な自然との交流】

   
   
同じ近代市民社会にしても,ヨーロッパには人々の心を一つに結びつけていた

   長いキリスト教の伝統がある。かつてゲルマンやノルマンの大移動によって,

   ずたずたに分断された国家や領地を,カトリックが精神的に統一していたよう

   に,市民社会になっても原子化した個々人を,キリスト教が「内なる絆」とし

   て結びつけていた。フランス革命のスローガンには,「自由・平等」のあとに

   「博愛」と記されている。絶対不変の「父なる神」が,天上から常に自分を見

   守ていてくれているという感覚は,私には本当のところは理解できないけれど,

   一人ではないという強い安心感があったように思える。

   ところが,古くから神と仏が共存する宗教的に曖昧な日本では,戦後の市民社

   会の中にあって,戦前まで細々と続いてきた神や仏は,社会の後方へと後退し

   てしまった。そして儒教的精神もまた,高度経済成長とそれに続く日本列島改

   造の嵐の中で,拝金主義に侵食され,あえなく消え去ってしまった。日本人は,

   人と人との間の「絆」を失った,原子化されたバラバラの個体に分解させられ

   てしまったのである。これが,近代市民社会の究極の姿である。人を支えてく

   れるものは,もはや何もない。ここにこそ今,日本で気功が必要とされる存在

   理由がある。気功は,恋人に語りかけるように,偉大な自然と出会うことがで

   きる。気功のトレーニングを始めると,自分が大きな自然の懐に抱かれている

   という安心を実感できるだけでなく,自然が自分の身体の中を出入りして,お

   互いが交流していることも実感できる。キリスト教の神は,人間を超越した絶

   対的な存在である。人間と神との交流は,パンとぶどう酒で,象徴的に行われ

   るだけである。ところが気功は,実際に五感を使って自然と交流できるのであ

   る。偉大で大きな自然と交流できれば,近代市民社会に内在する「孤独や不安」

   は消え,心穏やかに生きることができる。神に近いものと出会えるのだから。

    
  

** 会員からのメッセージ ********************


      『外気功は素晴らしい』(青森 H.Sさん♂)
   
   『初めまして。私は多少なりとも武術をたしなむ者です。県内には外気功を
   教えてもらえる教室がないので,半信半疑でバーチャル気功道場に入会しま
   した。一指禅功は,馬歩椿が基本ということなので,毎日立ち続けてきまし
   た。足腰は丈夫な方なので,立つことにはあまり苦になりませんでした。そ
   れよりも動きが少ないので退屈してしまいました。内気功を一年間やってみ
   て,このまま外気功に進んでいいものかと迷いました。内気が充実している
   という実感がなかったからです。それでも思い切って,外気功の初級に進み
   ました。最初の2,3ヶ月は内気功と大差なく,物足りなさを感じていまし
   た。ところが,中盤から素晴らしい功法が,次々と送られてきました。頭の
   後ろに光輪ができるという「仏光功」には,本当かと疑いました。練功して
   から三週間目に部屋を暗くしたところ,女房はボッとした光輪が頭の後ろに
   見えるといいます。本当でした。外気功は気功師養成講座とあるように,内
   気功とはレベルが違いますね。その他,外気治療の方法やテクニックなど,
   気功師に育てられている自分を今感じています。


   ※倶楽部から一言
   
   内気功の目的は,一つには健康の維持と病気の回復です。もう一つは気功師
   になるために,内気を強化・充実させることです。外気功は,内気功を土台
   として自己の潜在能力を開発するものです。一指禅功は,外気功にこそ本領
   発揮の舞台が用意されているのであって,外気功の経験なしに一指禅功を語
   ることはてきないのです。内気功の練功だけでは,一指禅功を少しかじった
   という程度にし過ぎません。是非,外気功を体験して下さい。
      
             
  
** 購読者コーナ ************************
 
 
      □ 質問 □   
   
   『こんにちは,はじめまして。教えてほしいことがあります。今テレビで話題
   になっている某PKOの気功団体に,私の友人が入会しました。子供が難病な
   のでワラをも掴む気持ちだったと言います。気功の治療ができるようになると
   いう話なので,12回のコースで70万円を支払ったそうです。それでも,講
   習を受けたあとに気功の治療は,まったくできなかったというのです。お金を
   どぶに捨てたみたいです。教えてほしいのは,どのくらいの期間を練習すれば
   気功の治療ができるようになるのでしょうか,外気功の講習料の相場はいくら
   くらいなものなのでしようか。ご面倒でしょうが,お願い致します。』
   (福岡 明子♀)

   
   □ 答え □  
  
   気功には三千流派があるので,某PKOの気功団体がどのような流派で,どの
   ようなトレーニングをしているのか分かりません。そこで,外気治療を専門と
   する「一指禅功」を例にして説明したいと思います。「一指禅功」をはるかに
   超えた流派は,どこにも存在しないと思うからです。「12回のコース」とあ
   りますが,おそらく週一回で3ヶ月間の講習かと思います。「一指禅功」の場
   合には,3ヶ月の練習期間は,基礎の基礎をトレーニングするのであって,気
   功治療などありえません。気功治療ができるほどに内気が充実してくるのは,
   少なくとも一年半から二年ほどかかります。それでも個人差があるので,積極
   的に外気治療をするように,全員には勧められません。内気は,その人の命そ
   のものですから,内気が充実していないのに,外気治療をすれば老化を早める
   だけです。したがいまして,「12回のコース」で外気治療ができるようにな
   るというのは,経験からも信じがたいことです。そんな簡単に外気治療ができ
   たら,この世は気功師でいっぱいになってしまいます。

   もう一つは,外気功の講習料の相場ですが,私の知っている気功団体では,一
   回90分の指導で8000円だそうです。もし,某PKOの気功団体の「12回の
   コース」であれば,12×8,000円=96,000円ということになります。相場から
   すると,某PKOの気功団体の講習料は高すぎます。ただし,私の知っている
   気功団体の場合は,一つの功法(トレーニング法)をマスターするのに,普通は
   一ヶ月ほどかかるので,指導料金は一ヶ月3〜4万円ほどになります。一年間
   40回コースで約40万円という計算です。某PKOの気功団体の「12回の
   コース」で,外気功をマスターするのは殆ど不可能ですし,70万円という指
   導料もべらぼに高いと言わざるをえません。
                


   ※気功やこのメルマガの内容に関して, ご意見やご質問がありましたら, 是非
   
お寄せ下さい。お待ちしています。
   
    Email aam13920@nyc.odn.ne.jp 編集 森澤陽子(准指導員)
  



      
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        【バーチャル気功空間 気の世界】隔週  
                                   
    発行元: 日本気功倶楽部
   監 修: 天地 一道
   編 集: 森澤 陽子


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