並木克敏(天地一道)

「バーチャル気功空間 気の世界」

2001.05.05 創刊




第四章 気と社会
   
(04-02) 生のリアリティの喪失

人と物との関係の希薄さ(No.42)

   

2003.03.04
   


   【今を生きているという実感】   

   
   
「生のリアリティ」とは, 今を生きているという実感ないし充実感のことであ

   り, その意味では宗教にも人生観にも通じる, この世で人間だけが抱え込んで

   しまった永遠のテーマに違いない。それは, 人間が「生きる」ことと, 「生き

   ている」ことそのものに関わっているだけに, その切り口は多種多様でどこか

   らでもアプローチが可能である。しかしここで私が「生のリアリティの喪失」

   というとき, その実感が希薄になってしまった原因の一つを, 身近にある社会

   の仕組みから捉えていきたいのである。「生のリアリティ」が実感できるため

   には, まず自分が人や物や空間との間に, なんらかの「きずな」や「かかわり」

   や「つながり」ができていることが必要であろう。どことも, なにとも, 誰と

   も関係を持たない状態は, 空に浮いた宙ぶらりんの精神状況である。それは,

   「生のリアリティ」を実感する以前の問題である。極端なことを言えば, 個室

   に, そして自分の世界に閉じこり, 他者を拒否するごとき生活や, 逆に友達の

   家を泊まり歩き, 食事はすべて外食という生活の中に「生のリアリティ」は,

   存在しうるものではないと思うからである。例えこそ悪いとは思うが, しかし

   このような生活態度を, 現代人は戦後, 多かれ少なかれ共有してしまったので

   はなかろうか。それはこういうことである。



   
【生活のリアリティ】
  
   
   多くの人が「今を生きているという実感」が希薄になっているのは, 大地にし

   っかりと根を張って生きていた少し前の精神的に安定していた暮らしから, 激

   しい時代の流れが, 地中の根をずたずたに切り裂き, 人々を「根無し草」に追

   いやってしまったからではないか。それは, 人と人との関係の希薄さ, 人と物

   との関係の希薄さという現実に現われている。日常生活の中での, 人と人との

   関係, 人と物との関係の間に成り立つ親密な関係性こそ, 「生活のリアリティ」

   の源泉であり, 人が寄って立つ基盤というべきものである。「生活のリアリテ

   ィ」の存在なしには, 「生のリアリティ」は, 成立しえないように思う。「生

   のリアリティの喪失」の底には, それまで人々の周囲に疑うことなく存在して

   いた「生活のリアリティ」の喪失が先行していたのである。何時の間に知らぬ

   間に, かみんなみんな, 宙ぶらりんの根無し草になってしまっていたのである。

   それらはどのようにして喪失していったのか。人と人との関係の希薄さについ

   ては, ほんの少し触れるにとどまりたい。高度経済成長の時期に, 都会ではま

   ず地縁の喪失に始まり, 会社人間の出現と共に家族の団欒が解体し, バブルの

   崩壊に至って親子の断絶を生み出したという軌跡が辿れよう。そして現在, 人

   と人との関係の希薄さは, 携帯電話やインターネットの登場によって一段と加

   速し, 今まさに身近な親友よりもメル友という時代を迎えているのである。



   
【人と物との関係の希薄さ 万年筆とボールペン】    
   
   
   人と人との関係の希薄さは, 誰もが実際に経験し, 切実な問題として実感され

   ていると思う。それに対して, 人と物との関係の希薄さは, 自分の身近なとこ

   ろで, あまり意識しないうちに, 静かに, 徐々に, 大規模に, そして深く進行

   しているように見える。その一例を筆記用具で振り返ってみよう。私の小学校

   の頃は鉛筆で, まだ万年筆を使っている友達は周囲にはいなかった。中学生に

   なると, ぼつぼつ万年筆が使われるようになり, 私も浅草雷門付近の出店でま

   がいものを買って, 緑のインクを入れて遊び半分で使ったのが事始であった。

   それ以来, 私の唯一の筆記として万年筆を珍重してきた。使い始めてみると,

   万年筆にはそれまでの鉛筆やボールペンにはない, 人と物との深い関係性が存

   在していることを知った。新しい万年筆が自分の手に馴染むまで, 少なくとも

   三ヶ月はかかる。それは, 自分の書き癖にペン先が変形してくれるまでの時間

   である。自分の書き癖にペン先が合ってくると, この万年筆はもはやパイロッ

   トのではなく, この世に一つしかない私の万年筆になる。いやもっと正確に言

   えば, もはや物質ではなく私の身体の一部と化してしまったのである。これが,

   人と物との間に成立する濃密な関係性というものである。それに対して, ボー

   ルペンはいくら使っても物質以上のものにならない。ボールペンは他人に貸し

   ても, 万年筆は身体の一部の故に, 人に貸すことはできない。



  
 【人と物との関係の希薄さ ナイフとカッター】
   
   
   人と物との濃密な関係性は, 今では限られた場面でしか成立していないが, か

   つては日常生活の中で網の目ように張りめぐらされていたのである。時代錯誤

   というお叱りを覚悟であえて言えば, 二昔前まで使われていた「お釜」や」ほ

   うき」などの生活用具には, その使い方に「知恵」と「こつ」と「工夫」があ

   った。「始めちょろちょろ, 中ぱっぱ, 赤子泣いても蓋とるな」をご存知だろ

   うか。米の炊き方の極意である。人と物や道具の間に「知恵」と「こつ」と

   「工夫」が介在することによって, 緊密な関係が保たれていてたのである。こ

   こには道具以上の関係が存在していた。しかし電気釜の場合には, 米を研ぎ目

   盛りの線まで水を入れてボタンを押せば, あとはピーで炊き上がりである。便

   利には違いないけれど, もはや「知恵」と「こつ」と「工夫」が介在する余地

   がない。

   人と物との関係の希薄さを最も劇的に見せてくれるのは, ナイフとカッターの

   世代交代ではなかろうか。子供の頃に使ったナイフは, 長さ20cmほどの一枚

   のハガネに刃がついたもので柄や鞘はない。器用な子供は自ら柄や鞘を作って

   いたが, 不器用な子供でも刃だけは砥石で研がざるをえない。切れ味の良いナ

   イフにしたかったら, まずナイフを研ぐ前に腕を磨く必要があった。「知恵」

   と「こつ」と「工夫」を注ぎ込むことによって, ハガネは自分の大切なナイフ

   になった。ところが何時の頃からか, カッターなるものが登場してきた。切れ

   なくなったら刃先をおっ欠けばよい。刃が錆びてきたら取り替えればよい。全

   体が汚れてきたら捨てればよい。そして, ダイソーで100円で買えばよい。こ

   こには, 「知恵」と「こつ」と「工夫」のひとかけらも存在しない。人と物と

   の関係の希薄さの極地である。
   


  
 【前にアメリカ 後ろに中国】

   
   ここまでくどくどと古き良き時代について書いてきたが, なにも古い道具の復

   活を望むものではない。私の家にも当然のこととして, 電気釜あり, 掃除機あ

   り, そして机の上にはカッターがある。ものが売れないデフレ下の国際競争の

   時代にあって, 企業は女性の職場進出に伴う, 家事労働の軽減や効率化を促す,

   付加価値の高い新商品をを世に送り出さざるをえない。しかし, 便利さや効率

   化の追求は, 万年筆やカッターの例にも見られたように, 人と物との関係をさ

   らに希薄ににする側面も無視できない。高度経済成長によって, 日本人はみな

   物質的に豊かになってきたけれど, 物と人との間の関係性を構築することに失

   敗したように見える。日常生活の中での, 人と人との関係, 人と物との関係の

   間に成り立つ親密な関係性こそ, 「生活のリアリティ」の源泉であり, 人が寄

   って立つ基盤というべきものである。戦後の歴史を人と物との関係で見るなら

   ば, 人が寄って立つ基盤であるはずの「生活のリアリティ」を, ばら色の夢を

   与えながら, 逆に一つ一つ確実にぶっ壊して行った過程と言えそうである。先

   日, テレビで「自動便器」なるものを宣伝していた。便器の前に立てば, 蓋が
  
   自動的に開き, 立ち上がれば, 勝手に水がトルネードのように流れ, そして立

   ち去れば, 蓋が自動的に閉じる。便器に手を触れる必要もないのだから, 確か

   に便利だし快適に違いないのだが, はたして幸せにはなれるのだろうか。

   「生活のリアリティ」や「生のリアリティ」の復活を望むならば, 日常生活の

   中で「手作り」の部分を頑固に守るべきである。近代デザインのパイオニアで

   ある美術工芸運動のウイリアム・モリスの「手作り」の思想とは, 時代も発想

   も違うけれど, 現代を幸せに生きるためには「手作り」の部分をできるだけ多

   く残すべきであり, 新しく増やすべきである。漬物良し, 梅干良し, お菓子作

   り良し, 刺繍良し, 大工仕事良し, 家庭菜園良し, そば作り良し, 陶芸良し,

   手作りコンピューター良し・・・である。人と物との間の親密な関係性を作る

   ことが, 人を世界につなぎ止める一つの接着剤の役割をしているように思う。

   日常生活の中で「生活のリアリティ」を実感しながら, 気功のトレーニングを

   することで, 自分が自然の一部であるという「生のリアリティ」を感じたいも

   のである。

   
   
  
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お寄せ下さい。お待ちしています。
   
    Email aam13920@nyc.odn.ne.jp 編集 森澤陽子(准指導員)
  



      
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        【バーチャル気功空間 気の世界】隔週  
                                   
    発行元: 日本気功倶楽部
   監 修: 天地 一道
   編 集: 森澤 陽子


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