監修・解説 並木克敏

2025.10.30 創刊 月刊発行
《 序文 》
気功は、右脳で感じる身体知の実践である。思考を離れ、馬歩椿と五指の
動きに身を委ねることで、言葉を超えた感覚が立ち上がる。身体知とは、
世界と響き合う知性であり、気功はその扉を開く技法である。そして人と
人との間を言葉ではなく, 右脳の働きで直接的に魂と魂が結び付き, 我が
家の庭の小窓から, 追体験を通じて遥か昔の古事記のシーンが蘇り, 野菜
作りと庭木剪定というありふれた日常から, 縄文時代の世界の扉が開かれ
る。そんな不思議な世界を描写してみたい。
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私は今年で傘寿(八十歳)になった。八十歳と云えば, 普通には心身共に老
化に向かい, そそろ表舞台から立ち去ろうとする年齢である。ところが,
八十歳になって初めて, これまで蓄積してきた知識と経験が, 一つの世界
として繋がったのである。若い頃には 年齢を重ね知識の量が増えることで
総合的な判断力が培われるものだと想像していた。しかし違っていた。世
間一般には, 学問的にも経験的にも,さらには社会的にも無駄と考えられて
いた事柄が,想像だにしていなかった世界と結び付くことがある。それはこ
ういうことだ。野菜作り15年と庭木剪定15年の30年間, 親しく植物と付き
合ってきた経験が, 半栽培採取の定住生活を送っていた縄文人の植物を見る
目と重なり合うのである。宗教の始まりをアニミズムにあると, 宗教研究家
はさらりと説くが, 文章の前後から判断すると, アニミズムを左脳でしか見
えていないように写る。
母親の介護という非生産的とも思える行為も, 自分が幸せに生きるための養
分ともなり得えることもある。痴呆になった母親の介護を, 三十歳後半から
13年間にわたり,大学の講師として通いながら, 自宅で一人で続けた結果,
いつの間にか右脳がより優位に働くようになっていった。右脳がより優位に
働くと, 世界が少し違って見えてくる。野菜作りをしていると, スーパーの
棚に並ぶ野菜という物体ではなく, 生き生きとした命ある生命体に映る。ま
た一指禅功の練功をしているとき, どのように右脳と左脳が働いているかが
分かるようになったし, 練功の終わり頃になると「空」とか「無」とかの感
覚が芽生えるようになった。
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「右脳で知る身体知としての気功」では, 気功の鍛錬をしたことのない初
めての読者も対象としているので,「バーチャル気功空間 気の世界」で
すでに描写している一指禅功の初歩的な情報と重複することをお許しいた
だきたいと思う。
第1章 右脳で知る身体知としての気功 そして私の人生の小さな旅 (01)
目次 (2025.10.30〜)
(01-01) はじめに 「知覚の現象学」と気功の接点を概観する
(00-02) メルロ=ポンティの「知覚の現象学」と気功の身体知
(00-03) 一指禅功という気功の歴史 1500年の重み
(00-04) 一指禅功という気功の特徴 馬歩椿の姿勢
(00-05) 一指禅功という気功の特徴 強烈な気感が生じる
※バックナンバーは, ホームページからご覧下さい。
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■右脳で知る身体知としての気功 そして私の人生の小さな旅 (01) 予定
以下の項目は現時点で考えている構想であり 私は走りながら考えるタイプ
なので, 大きな変更も脱線もあり得ることをご承知願いたい。こんな順序
で進めていきたいと思うが, 多分, この14の項目で三年ほどかかるかも知
れない。
■ はじめに 「知覚の現象学」と気功の身体知についての概観
■ 気功における身体知 メルロ・ポンティの「知覚の現象学」
■ 一指禅功という気功の歴史と特徴
■ 右脳で知る身体知としての気功
■ ジル・ボルト・テイラー博士と脳出血 右脳で知った世界
■ 13年間, 痴呆の母親を介護する過程で開いた右脳の世界
■ 我が家の小さな庭から古事記の世界が見える
■ 野菜作りと庭木剪定から縄文の世界の扉が開く
■ 和辻哲郎 「風土」について 50年前に読んだ名著
■ 日本の造形文化 日本庭園と茶の湯
■ 西洋の幾何学式庭園 ベルサイユ宮殿
■ 右脳の日本文化 どうして日本人は右脳が発達したのか
■ 縄文の世界 第四の本能=死への恐怖 そして再生
■ 縄文の世界 半栽培採取による世界でも稀な定住生活
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第1章 右脳で知る身体知としての気功 そして私の人生の小さな旅 01
(01-02) 【メルロ=ポンティの「知覚の現象学」と気功の身体知】
「メルロ=ポンティの「知覚の現象学」の世界」
2025.11.11 (No.002)
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【身体知とは何か メルロ=ポンティの「知覚の現象学」について】
身体知といえば, フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティの「知覚の現
象学」を思い浮かべることだろう。メルロ=ポンティは、近代哲学の基礎であ
るデカルトの「心身二元論」に異を唱えた。デカルトは 「我思う、ゆえに我あ
り」として、思考する精神(心)と物質(肉体)を明確に分け, 精神が肉体より優
位であると説いた。それに対してメルロ=ポンティは, 「私は考えるよりも先に
世界の中で行為できる存在である」と主張した。「世界の中で行為できる存
在」とは一体何を意味するのだろうか。彼は考えるよりも先に, 身体が知覚を
通じて世界との関係を形作っていると云う。そしてこの知覚とは, 単なる受動
的な情報処理ではなく, 身体を通じて意味を創出する能動的な関係性であ
ると捉えた。たとえば, 赤ちゃんが手を握ったり舐めたりすることで, 自分の存
在を認識するように、身体的な経験が認知や感情の形成に深く関わってい
ると云う。このように身体知とは、身体を通じて得られる 「言葉にならない知
識」のことである。感覚や動作、経験を通じて世界を理解する力であり、理論
的な知識とは異なる深い認知のかたちである。身体知は, また「暗黙知」とも
呼ばれ、言語や論理では説明しきれない、身体を通じて獲得される知識を
指す。メルロ=ポンティは、身体が世界を知覚し意味を創出する存在である
とし、身体知を「知ること」の本質的な一部と位置づけた。「私は身体を持っ
ているのではなく、私は身体である。」
【知覚とは 身体を通じて意味を創出する】
哲学にあまり明るくない読者諸氏は, モーリス・メルロ=ポンティの「知覚の現
象学」について, 分かったようで, よく分からないという感想を持つことだろう。
「知覚の現象学」の核心は, 彼が云うように「考えるよりも先に, 身体が知覚を
通じて世界との関係を形作っている」ということにある。人間も哺乳類のヒト科
なのだから, 動物と比較しながら見ていくと, 難解に思えるテーゼも意外と理
解しやすくなる。動物は、身体を通じて世界を知覚し、即時的に反応する。
獲物の気配を察知して即座に捕獲し、敵の動きを察して瞬時に逃げる。これ
は「生きるための知」であり, メルロ・ポンティの云うところの「生きられた身体」
の原型でもある。動物は世界と直接的に関わり、身体を通じて意味ではなく
反応を生み出すのである。動物も人間も身体を通じて世界を知覚し、環境に
対応するが、人間はその体験を記憶・言語・象徴・倫理と結びつけて、より深
い意味づけを行う。たとえば, 「五感」が目で光を捉え、耳で音の刺激を受け
取とると, 「知覚」はその光が「夕焼け」だとわかり、その音が「友人の声」
だと認識し意味づける。そして「身体知」は, 一日の終わりとしての夕焼けを
見て心が動き、声のトーンで友人の感情を感じ取り, それらを経験として蓄積
する。身体知とは, 言葉では説明できないが、身体が「わかっている」という
状態のことである。他方で, 動物の経験は記憶されるが、象徴的・抽象的な
意味づけは行われないのである。
【気功における気感 身体の内側からの反応】
「五感」⇒「知覚」⇒「身体知」という図式は, 外からの刺激を五感で受けたと
きの知覚に関する事象であり, 気功に特有の気感(気の反応)とは, 明らかに
異なる。気功に特有の気感とは, 身体の外からの刺激ではなく, 身体の内
側から生じる反応である。気功の気感は, 多種多様な形をとって現れるが,
一般化すれば以下の通りである。初心者の身体に最初に生ずる感覚は,
手指が痺れ, やがて手全体に膨張感が生まれ, 指先に汗が滲んでくる。数
カ月練功を続けると, 両腕や身体の間に磁石のような不思議な反応が生ま
れる。人によっては気圧の低下や湿度の変化によって, 頭痛やめまい、関
節痛や耳鳴りなどの症状が現れこともあるが, 人体磁石のような感覚が芽
生えることはないだろう。さらに練習を重ねると, 経絡の中を流れる気の動
きを感じたり, 手の労宮穴や足の湧泉穴に穴が開くという特殊な感覚も生じ
たりする。
このように「経絡の中を流れる気の動きを感じる感覚」を, メルロ=ポンティの
「知覚の現象学」として解釈すると, どのような答えが返ってくるか, AI(人工
知能)に聞くいてみた
『 「気が流れる」感覚は、五感のどれかに分類することはできません。それは
むしろ、身体の内側にある流動性・統合性を感じる高度な身体意識であり、
五感を超えた第六感的な知覚領域に属すると言えるでしょう。それはむしろ
内受容感覚(interoception)や身体意識(body awareness)関わる、より深層
的な感覚です。』 (AI 人工知能)
ここで云う「内受容感覚」とは, 呼吸・心拍・内臓の動きなどを指し, 「身体意
識」とは, 自己の身体に対する統合的な感覚というそうである。しかしながら
「身体意識」についてのここでの説明では, 私にとって理解不能なので, も
う一度「身体意識とは何か」とAI人工知能に聞いてみた。
東京大学の高岡英夫氏は「運動科学総合研究所」所長であり、「身体意識」
という概念を提唱した第一人者ですが, 彼によれば,
『身体意識とは、自分の身体の状態や動き、空間との関係を深く感じ取り、
意識的・無意識的に操る能力です。これは単なる感覚ではなく、身体の「設
計図」や「地図」とも言える深層的な知覚構造です。』 (AI 人工知能)
なんか余計に分からなくなったので, AI 人工知能に身体意識についてもう
少し分かりやすく説明してくれるように頼みました。
『身体意識とは、「自分の身体を感じる力」のことです。たとえば──
・目を閉じても、自分の手がどこにあるか分かる
・姿勢が悪いときに「なんだか落ち着かない」と感じる
・呼吸が浅いときに「緊張してるな」と気づく
こうした感覚は、目や耳などの五感ではなく、身体の内側から感じる知覚で
す。』
そしてさらに, どんなところに身体意識はあるのか?
『身体意識は、身体のいろんな場所にあります。たとえば──
・意識の場所
・丹田(たんでん) おへその下あたり。落ち着きや力の源になる場所
・センター 頭から足まで通る「まっすぐな軸」。姿勢やバランスの中心
・肩甲骨の意識 背中の動きや呼吸を感じる場所
・股関節の意識 歩く・立つ・座るときに安定感を生む場所』 (AI 人工
知能)
五感を超えた第六感的な知覚領域で, 気功の鍛錬に伴う特有な気感 (気の
反応)は, 内受容感覚(interoception)や身体意識(body awareness)でもな
く, さらには「身体感覚」や「身体知覚」でもなさそうである。気功の練習に伴
う, 独特の気感 (気の反応)の正体は, 今だに時代の科学が追い付いていな
いのだろうか。生命は宇宙以上に複雑なのだ。いずれ気感 (気の反応)につ
いては詳しく述べたいが, その前に 一指禅功という特殊な気功について, そ
の歴史と特徴を書きたいと思う。
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【右脳で知る身体知としての気功 そして私の人生の小さな旅】月1回発行
発行元: 日本気功倶楽部
編 集: 並木 克敏 (代表)
※「右脳で知る身体知としての気功 そして私の人生の小さな旅」に掲載され
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